オンライン証券会社として広く認知されているマネックス証券は現在、マネックスグループとして世界を舞台に金融業を展開している。マネックス証券設立の経緯や急速に成長できた理由、今後の日本経済、世界経済の行方についてマネックスグループ株式会社 代表執行役社長CEO の松本大さまにお話を伺った。

目次

  1. オンライン証券を中心にグローバルに展開
  2. 利益を作る仕組みづくりと人材採用で大きな成果
  3. 会社がやらないなら自分がやる!インターネットで個人向けビジネスへ
  4. ゴールドマンサックスを辞めて、マネックス証券を立ち上げるまで
  5. マネックス証券の急成長の二つの秘訣

オンライン証券を中心にグローバルに展開

【特集#01】「マネックス証券成長の舞台裏と世界経済の今後を占う」
(画像=松本 大 氏)

司会 それでは松本さまより自己紹介、事業紹介をお願いしたいと思います。

松本 マネックスグループの松本でございます。 まずは、簡単に当社の状況をご説明します。

現在マネックスグループには、日本ではマネックス証券のほかにコインチェック、マネックス・アセットマネジメントという運用会社や、アクティビスト、エンゲージメント運用をしているカタリスト投資顧問という会社があります。

更に、アメリカにトレードステーションという会社とその子会社があります。この会社は2011年まで上場していた会社で、当社がテンダーオファー(株式公開買い付け)で100パーセント買収をした会社です。最近では、トレードステーションクリプトという、暗号資産の売買をするサービスの会社も孫会社のような形で作りました。

また、香港にあるアジアで一番古いオンライン証券会社を子会社化したマネックスBoom証券、オーストラリアにもマネックスオーストラリアというオンライン証券会社があります。中国本土にはジョイントベンチャーで、オンライン証券を提供している会社もあります。このようにかなりグローバルに展開をしている会社です。

預かり資産の推移としては、当然マーケットの動きがあるので、アップ・ダウンがありますが、2000年ぐらいから見て順調に右肩上がりに増えてきています。トレードステーションを中心とした米国セグメントも預かり資産は1兆円くらいで、そのほかにアジアパシフィックやクリプトも増えている、といった形になっています。

急速に成長しており、すでに2021年1月末に発表した第3クオーターまでの税前利益は、9ヵ月間で30億から90億へと、約3倍に増えました。内容としては、日本のマネックス証券、アメリカのトレードステーション、クリプトのコインチェックの3つを柱としています。日本ではマネックス証券の印象が強いのですが、アメリカの証券会社を子会社として持っているグローバルな会社です。そのうえで分散した利益構造をもち、大きく成長している会社、と言うことになります。

利益を作る仕組みづくりと人材採用で大きな成果

司会 本日は、大きく二つのテーマを中心に進めていきます。一つ目は「なぜマネックス証券は急成長できたのか」。松本代表のこれまでの歩みと、マネックス証券急成長の舞台裏ということについて取り上げていきます。二つ目は「松本代表が今後世界経済、日本経済をどのようにお考えか、占う」ということについて進めたいと思います。

まず、一つ目の、松本代表のこれまでの歩みとマネックス証券急成長の舞台裏についておうかがいします。

松本さんは新卒で外資系の証券会社に入社された後、転職されたゴールドマンサックスでは、共同経営者(パートナー)として抜擢されました。大きな成果をあげられたそうですが、具体的にどのような成果をあげられたのでしょうか。

松本 トレーディングやリスクを取る部門全てを統括していました。当時、1994年から1998年まで4年ほど、ゴールドマンの日本の利益の150パーセントくらいを私のところで上げ、バンキングディビジョンで50パーセントくらい損をしていたので、差し引きして100パーセントになるという利益構成でした。私のところでは、債券のトレーディングやデリバティブ、あと、私が作ったスペシャルシチュエーショングループで利益を上げていました。

これは倒産した会社の債権や経営破綻した会社を買収するというビジネスで、ゼロから作りました。まだそのような仕組みも法的な枠組みが日本にはなくて、私が弁護士や会計士に話を聞きに行っても、全く相手にしてくれないような状況でした。そのような時に国会議員に直接話を聞いたりしながら、ディストレストアセット スペシャルシチュエーショングループというのを作りました。

ユニットができて1年後ぐらいに、私はゴールドマンを辞めるのですが、その頃にはこのユニットがゴールドマンサックス全体の1番の稼ぎ頭になりました。たぶん今でも、毎年数億円は利益を上げていると思います。その他にデリバティブでも利益を上げ、全体のトレーディングでも儲かるチームをマネージしていました。

そのようにして利益を上げる仕組みを作る以外に、ゴールドマンの東京全体のために人の採用も行っていました。ほとんど毎日のように、業界の人と面接目的で会い、また新卒も中途もたくさん採用しました。

司会 そうすると、ゴールドマンの新しい仕組みを作るという部分と、採用という部分で非常に実績・成果を出されてこられたということですね。

松本 はい。特別な成果を出してきました。

会社がやらないなら自分がやる!インターネットで個人向けビジネスへ

司会 次に、ゴールドマンサックスで非常に成果をあげられていましたが、ゴールドマンサックスを辞めてマネックス証券を設立されたのはどのような経緯でしょうか?

松本 1998年の夏にゴールドマンが上場しようとして、ロシア危機があって延期になった後、99年の5月に上場するというスケジュールがありました。私は1998年の夏頃、ゴールドマンに、今後の投資銀行業務を考えると、インターネットというものが出てきたので、インターネットを使って、最終的なリスクの取り手である個人に対するアクセスを作るべきだという提案をしました。しかし、当時のゴールドマンは、個人向けのビジネスはやらないという方針だったので、彼らは私の提案を拒否しました。結局、時代が変わり、20年くらいたってゴールドマンは個人向けのビジネスをやることになります。

私は当時、現場にいた金融人として、インターネットを使った個人とマーケットをダイレクトにつなぐビジネスの可能性を信じました。それを会社がやったほうがいいと思ったのですが、いまある会社がどこもやらないなら、自分がやらないと後悔すると思ったことが会社設立のきっかけです。

ゴールドマンサックスを辞めて、マネックス証券を立ち上げるまで

松本 当時、会社とのパートナーシップ契約は2年契約で、1998年11月末にちょうど契約終了する予定でした。本来なら、そこからまた2年間の契約となるのです。契約更新の時点で、次のパートナーの契約に入ってから、半年後にゴールドマンが上場することがわかっていました。上場すると、大量の株をもらえることになります。それは多額のお金だったのですが、辞めるつもりにもかかわらず、もらえるものはもらう、その後に個人投資家のための会社を作る、というのは、なんかちょっと信義にもとるという思いがありました。

当時私は、34歳か35歳だったので、あまりにもたくさんのお金をもらいすぎると、ハングリー精神がなくなってしまうかもしれないという危機感があり、それは避けたいと思いました。また、辞めたいのにもかかわらず、もらえるものはもらいたいから、という理由で残ってその後に、会社を作ると言っても誰も信じてくれないのではないかという思いがあり、結局1998年11月末に辞めました。

翌年1999年4月5日に、株式会社マネックスという、今のマネックスの前身となる会社を作り、半年後の1999年10月1日に営業を開始しました。その翌年2000年8月にマザーズに上場します。

司会 多額のお金をもらえるというところをあえて受け取らずにお辞めになられて、それでさらにマネックスを立ち上げ、すぐに上場というお話を聞いているだけで圧倒されます。

マネックス証券の急成長の二つの秘訣

司会 さらにマネックス証券さんを1999年に設立して、1年強でマザーズに上場されたという部分もありますが、設立から6年半ほどで東証一部にも上場されています。事業を急成長させられた秘訣やポイントがありましたら、お話しいただきたいです。

松本 難しい問いですね。結局、がんばってやっていたら、そのような業績ができたという結果なので、秘訣というのは特にありません。でも、あえて言うならば、一つはライバルに恵まれたということです。SBI証券の北尾さんや松井証券の松井さんなどのライバルがいたわけですよ。当時オンライン証券は、1999年10月1日の日本における株式売買手数料完全自由化に合わせて、事業を始めました。

私以外に、北尾さん、松井さん、あとカブドットコム証券(現auカブコム証券)の齋藤さんが、しのぎを削ってライバルとして戦ったので、どんどんサービスが良くなっていきました。本当にいいライバルに恵まれたというのはあります。結果として、業界がどんどん強くなっていきました。

もう一つは、続けていくうえで何度も辛いことがありましたが、そのようなときに一緒に支えてくれる仲間がいたことも大きかったと思います。創業時からの仲間が、会社のにずいぶん残っていて、いろいろな苦しみをみんなで一緒に担ぐことができたというのがよかったと思います。