中小企業の経営では、ゼロから何かを生み出す「0→1ビジネス」と土台があるところから、さらに事業を拡大していく「1→10ビジネス」の両方の観点で見ていくことが必要だ。それぞれがどのような苦労があり、今後どのような展開をしていくべきかを、「0→1ビジネス」として拡大してきた株式会社うるる 代表取締役社長 星氏と「1→10ビジネス」として事業を引き継いだ後、幅広く展開中のサツドラホールディングス株式会社 代表取締役社長兼CEO 富山氏に伺った。

(※本記事は2020年9⽉8⽇(火)16時から行われたウェビナー「うるるに学ぶ「0→1 ビジネス」とサツドラに学ぶ「1→10 ビジネス」の成長軌跡」をもとに執筆されています。)

目次

  1. 北海道内で200店舗を展開するドラッグストアの事業承継
  2. サツドラのポイントカード「EZOCA」誕生までの軌跡
  3. ドラッグストア二代目としての危機感が「EZOCA」を生んだ
  4. 大企業の二代目としての経営の難しさ

北海道内で200店舗を展開するドラッグストアの事業承継

【特集#02】北海道で200万人が使う「EZOCA」を生み出したサツドラ代表の生き残り戦略
(画像=うるる×サツドラ)
【特集#02】北海道で200万人が使う「EZOCA」を生み出したサツドラ代表の生き残り戦略
(画像=富山浩樹 氏)

司会 次に、サツドラさん、「1→10ビジネス」について伺います。新規事業も立ち上げていらっしゃり、先ほど190万人という数字も挙がっている「EZOCA」について改めてご説明いただけますか。

富山 そもそも、チェーン展開しているドラッグストアは、当時僕が入社したときに、北海道のみで100店舗くらいありました。今は200店舗強となっていますが、その当時はかなり危機感がありました。

やっぱりアメリカの事例を見ても、北海道では知名度がある大企業だねって言ってもらえても、全国で見たときにはまだまだだったので、いずれ残っていけるドラッグストアは数社に絞られていくだろうなと思いました。このままでは生き残っていけないのではないかと、社内の仕組みを見ても、大きな危機感を感じていました。アメリカでは、その当時から数社に絞られていましたし、現在もドラッグストアの再編がニュースになっています。

12年前くらいに、地方の雄みたいに言われていた企業の中で、地方ドラッグはほとんど、もう数社くらいしか、残ってないという状態でした。我々くらいの規模だと、いつかM&Aということになるのではないか、と市場からは見られているような立ち位置だったので、やっぱりお店として強くならなければいけないと思いました。でも、競合は全国チェーンとなっている巨大企業ですから、横綱相撲をしても勝てないだろうなという思いがありました。

2006年、いろいろ思い悩んでいた頃は、全国でTポイントカードだとか、pontaとかいう共通のポイントカードがすごく伸びていて、全国で急速に広がっていた時期でした。当社も入ってもらえないかと2社から誘いを受けました。単独のポイントカードは当社にもありましたけど、いろいろ話を聞いて、そこから2社のような少し広い形の囲い込みというか、データマーケティングというのは、これから伸びるだろうなというのをまざまざと感じました。

でも話を聞いていくと、当時の北海道内では、Tポイントとかpontaよりもサツドラの自社のポイントカードのほうが会員数は多かったんですよね。なんでうちに入ってもらいたいと、アプローチしてもらえるのかを考えたとき、うちのドラッグストアの持っているカードが非常に強いということに気づいたんです。

サツドラのポイントカード「EZOCA」誕生までの軌跡

富山 サツドラは健康から美容、パーソナルケアまで扱っていて、そのうえ食品や日用品など生活全般の商品も扱っているため、サツドラのポイントカードは使用頻度が高いカードだったんです。週に一回は買い物に来てもらえて、しかも老若男女、幅広い客層を持っているという、この顧客のデータという強みに気づかせてもらいました。それなのに、それを他社に渡して、かつお金も払ってマーケティングをしてもらうというのは、自分たちの強み、コアを差し出すようなものではないかと思いはじめたのです。

考えてみると、小売企業って商品を売ることは得意だけれども、マーケティングに関してはメーカーマーケティングが多いので、自分たちでデータを握ってマーケティングをするということを、小売自らやっている企業は、ほとんどないということに気づきました。しかも、それを、実は小売自身がやるのが一番強いかもしれないことに、アプローチを受けて気づきはじめたのです。

彼らが何をやっているかというのも、プレゼンの途中でわかったので、それならば、我々は自分たちでやったほうがいいのではないかということになりました。そして、自分たちの強みって何かというと、全国規模の企業にはかなわないけれども、地域というくくり方をしたときに、お客さんに対するマーケティングを、より精度が高くできることだと考えたのです。

それならば、サツドラのポイントカードのブランドのまま、まったく新しく会社を立ち上げて、プラットフォーマーとして狙ったほうがいいだろうと考えて、「EZOCA」というオリジナルブランドにして立ち上げたというのが背景です。

最初はやっぱり、結局サツドラのカードだよねという感じで、なかなか広がりませんでしたが、スポーツチームを巻き込んだり、同じ小売業の方々に入ってもらったりしました。徹底的にナショナルブランドではないことをアピールし、地域の企業さんにアプローチをして次第にブレークポイントを迎えました。

今、サツドラの売上が全体の40%くらいで、半分以上は他社さんの売上で構成されているようなカードにまで成長しました。依然としてうちは地域企業ですけど、逆にその強みを生かして、地域のなかで特化して、小売だけじゃないプラットフォーマー側になって、面でソリューションを作りました。

AWLというAIカメラの会社や、そのほかにもPOSだとか、基幹システムのIT会社も持っていますが、モデルにしているのは、アマゾンのリアル店舗です。リアルな場所としては北海道だけですが、そういった仕組みだとかソリューションの場を作っていって、それを外販していこうというのが狙いです。北海道に特化させつつ、そこで稼ぐサイクルを北海道だけじゃないものにしていくというのが、今グループでやっているというところです。この勝負が、花開くかどうかは、まだこれからです。

星 利用者が190万人くらいいても、事業としてはまだ評価できる状況ではない?

富山 いえ、地域に特化したというところでは、評価はしています。しかもリージョナルマーケティングという会社、「EZOCA」の事業自体で、すでにマネータイズしています。

ドラッグストア二代目としての危機感が「EZOCA」を生んだ

星 今となっては、これだけの事業になっているからいいですが、始めた当初から私、ずっと横で見ていました。「EZOCA」の事業を始めた当時は、まだ社長にもなっていないぐらいのときで、二代目だし、プレッシャーがあるのではないかと。

二代目って、なかなかお父さんが作ってきたものを、壊してはいけないだろうし、同じことをやっていても、淘汰されるという厳しい状況だったでしょう。何か新しいことをやっていかなければいけないということを思い、まだ社長にもなっていないタイミングで、このような新規事業を作ってやっていくというのは、どのような感覚でしたか?同時にこのときって、サツドラというどら焼き作っていたじゃない。

富山 どら焼きね。よく覚えているね。急にそういう点の話になる。

星 「EZOCA」を立ち上げるって、そのような「点」の視点とは違う。かなりお金もかけていたし、デザイナーも最初から入れて、キャラクター展開をしているのを見ていたので、けっこうお金をかけてやっているなと思っていました。どのような覚悟というか、環境でやっていたのでしょうか?

富山 ひとつ言えることは、危機感が大きかったということですよね。このままでは、北海道だけの、ただのドラッグストアだけになってしまう。事業承継のその前に、もしかしたらなくなるかもしれないと思っていました。でも「EZOCA」の事業は、新規事業だけれども、サツドラのデータという強みがわかったので、そこのコアを生かしてやっていけばいいと思いました。そこには、根拠のない自信があったというか。うまく行くだろうなと思っていました。

星 今、話題のデジタルトランスフォーメーションのような概念が、当時芽生えたというか、ひらめいたのでしょうか?

富山 ひらめいたというか、Tポイントとpontaが実際にそれを突き進んでいたので、彼らに教えてもらったというほうが正しい。データって、これから価値が高いんだということを、営業されて気づいたという感じですね。

星 当時、社内的で、息子がそのような事業を始めるとなったときには、どのような状況でしたか?ドラ息子がなんか新しいことをやって、という感じですか?

富山 最初はそうでしょうね。直接は言わないけれど、けっこう空気感としてはひしひしと感じていました。やっぱり小売以外のことを、会社のなかでも初めてやるということなので、やるなら、サッポロドラッグストアのカードそのままでいいのでは?ということを言われたりしました。「EZOCA」という名前もふざけていると思われていましたし。

富山 あと新しい会社を作ったときに、既存の人材ではできないと思ったので、最初からヘッドハンティングで、CCCの人を連れてきました。今はもう社長をやっていますけどね。地元でもマーケティング会社の人に入ってもらって、出島じゃないけれども、そのような形で別会社にしてスタートしました。それはすごくよかったなと思っています。

大企業の二代目としての経営の難しさ

星 やっぱり当時は二代目の難しさ、という状況はあったんですよね。

富山 最初にお話しした危機感と、いけるなという自分の思いがあったので、突っ走ったという感じです。聞こえないふりをしていたというのが正しいかもしれないですね。

星 すごく稚拙な話かもしれないけれど、二代目となると、その当事者意識、その危機感が芽生えない二代目の方もいますよね。やっぱりお父さんが言ってくれるから、やる、作ってくれるから、その道を歩くという二代目が多いなかで、すごくうまくバトンタッチできたと思いますよ。富山さん自身が、自分の会社だ、自分がなんとかしなきゃという当事者意識をもったのは、いつですか?

富山 やっぱり会社に入ってからですよね。入るときも、その前までは、入るつもりはなかったというよりも、どっちかっていうと、何も考えてなかったというのが正しいです、最初はね。入るときもそれなりに、どうせやるなら何かにチャレンジするつもりはありましたけどね。

入って働いて、最初のうちはお店に出て店長とかもやっていました。その中で、一緒に働いている人との関係ができてきたり、いままで接してなかった父親の働いている姿とかにも触れることが多くなったりして、やっぱりそういう気持ちって、急速に強くなってきたなというのは、ありますね。

それから、たぶん周りが見るよりも、学生時代のときのほうが「二代目」と見られるのがすごくコンプレックスで、嫌だと思っていました。入ってからは、そのようなことというのは、外の人が思うことで、目の前のことに対してどう対処していくのかとか、こちらのやり方のほうがいい、などということにまい進している感じだったので、気にならなくなりました。外からのそのような声に惑わされることなく、どんどんやっていくという感じでしたね。