中小企業の経営では、ゼロから何かを生み出す「0→1ビジネス」と土台があるところから、さらに事業を拡大していく「1→10ビジネス」の両方の観点で見ていくことが必要だ。それぞれがどのような苦労があり、今後どのような展開をしていくべきかを、「0→1ビジネス」として拡大してきた株式会社うるる 代表取締役社長 星氏と「1→10ビジネス」として事業を引き継いだ後、幅広く展開中のサツドラホールディングス株式会社 代表取締役社長兼CEO 富山氏に伺った。

(※本記事は2020年9⽉8⽇(火)16時から行われたウェビナー「うるるに学ぶ「0→1 ビジネス」とサツドラに学ぶ「1→10 ビジネス」の成長軌跡」をもとに執筆されています。)

目次

  1. うるるの契機は「2007年問題」
  2. ウェディング会社でデータ入力の会社を社内起業
  3. 自社が事業を完全撤退、自ら辛い道へ飛び込む
  4. 社内起業からMBO、東京へ進出

うるるの契機は「2007年問題」

【特集#01】データ入力代行から始まった「うるる」 社内起業からMBO、東京進出までの軌跡
(画像=うるる×サツドラ)

司会 まずは、「うるる」さんの「0→1ビジネス」について伺います。オーストラリアからの帰国後に入社した会社で、「うるる」を社内創業されたそうですが、どのような経緯だったのでしょうか?

星 2003年の創業当時、「2007年問題」が社会問題としてささやかれていました。「2007年問題」とは、2007年以降に団塊の世代の方たちが退職しはじめて、日本の労働人口がどんどん減っていくことです。ちょうど2003年ごろから社会問題として取り上げられるようになっていました。

一方で2003年頃は、インターネットが急速に普及してきた時代で、ナロウバンドからブロードバンドへ次々と切り替わっていました。それまでは電話回線でインターネットをつなげていたのですが、ブロードバンドになって定額で大容量かつ常時接続が可能という今の形になりつつあるという時代背景がありました。

さらに当時は、収入を得たいのに子どもが小さくて外に働きに出られない主婦の方や、家族に介護が必要な方がいて外に働きに出られない方ができるお仕事は、内職しかありませんでした。今も内職という働き方は、ありますが、インターネットがこれだけ普及していけば、内職じゃなくても、もっともっと会社に行ってやるような仕事を、自宅でできるような時代が来るのではないかなと、2003年頃に考えていました。

そして2007年問題で、労働力がどんどん減っていく、という社会問題とインターネットが爆発的に普及しているという時代背景、そして自宅で働きたい、収入を得たいというニーズをうまく組み合わせて事業にしていけたらおもしろいと思って事業を立ち上げようとしたんです。在宅ワークをする人たちを、労働力として機能するような社会を作っていこうとしたのがきっかけであり、背景です。

ウェディング会社でデータ入力の会社を社内起業

【特集#01】データ入力代行から始まった「うるる」 社内起業からMBO、東京進出までの軌跡
(画像=星知也 氏)

司会 それは、当時在籍されていた会社の中で、プレゼンなどをして、承諾を取って、社内創業をされたということですか。

星 社内での新規事業として、まったく新しい領域を作っていきたい、というお話をしました。新規事業を展開するにあたっては、新しい法人を立ててやりたい、ということを申し出て、「うるる」を社内で起業したという形になっています。

富山 今の「うるる」は、既存の事業とは、全然関係ない事業だったのですか?

星 全然の関係のない事業でした。もともと勤めていた会社は、いろいろなことをやっている会社で、当時私は、ブライダルの事業部門にいて、ブライダルのレストランウエディングの事業をずっとやっていました。

その会社の本体というか、ウエディング以外の事業が、あまりうまく展開していない状況だったので、本体がなんとかうまく展開していくのを手伝ってほしい、ということで異動を命じられたんですよ。それで、3年くらいやっていたウエディングの事業から、新しい事業に異動することになりました。これをここできちんとビジネスとして展開していくために作ったのが、在宅ワークという新しい事業です。

富山 そのような経緯だったんですね。その当時、新しい事業をやるというのは、社内で何の反対もなく、「やってみろ」という感じでしたか?本体の事業を立て直す手段として、この新規事業はどうか?というような社内認識でスタートしたのでしょうか?

星 そのような感じでしたね。

司会 最初から法人化したのは、あわよくばMBOも、ということだったのでしょうか?

星 いや、全然考えていませんでしたね。事業として展開していくうえで、最初に始めたのが、データ入力の受注、受託サービスだったので、そのデータ入力の受注サービスを、データ入力専門店という形で始めました。法人化した理由は、そのサービスを企業向けに展開するにあたって、法人があったほうがやりやすかったからというだけですね。

富山 もともと星さんは、そのような事業をチャンスがあるからやりたいと思ったのですか?それとも、もともとは何でもいいから、なんらかの事業を自分ひとりでやってみたいという思いがあったということですか?そういうことではなくて、本体の事業を立て直すという事情があって、それなら新規事業をやったほうがいいのではないか、といった感じの成り行きでしたか?

星 もともと勤めていた会社のウエディング以外の事業の中に、教材をユーザーに販売するサービスをやっていました。教材を過去に販売したユーザーに、何か付加価値やよりよい機会を提供できないか、というアイデアがあったところに、新規事業がわずかにつながっていた感じです。そこへ、在宅ワークという働き方を我々が新たに構築できれば、教材を販売したユーザーに対して自宅で働くという機会も提供できるのではないか、ということでした。

ところが、あれよあれよという間に勤めていた会社の業績全体が悪化していって、ウエディング以外の事業でいろいろやっていたものを、全部撤退するという状況になってしまいました。そのとき、データ入力の受注のようなことは、2年ほど経過していたのですが、月の売上もまだ200万か300万くらいでした。新規事業をやめる、「うるる」も全部やめるという流れになったので、やめるなら買わせてくださいと申し出たのです。会社ごと、事業ごと全部買うというのが、ちょうど整理しやすく、たまたま法人化していたので、その法人ごと株式を買う、MBOとなったということですね。

自社が事業を完全撤退、自ら辛い道へ飛び込む

富山 会社が全部撤退するとなったときに、新規事業もやめようと思わないで、自分でやりたいと思ったのは、どうしてですか?事業として大きくなる可能性があると感じていたのですか?

星 すごく悩みましたよ。その事業の売上は、月に200万~300万で赤字でしたから。会社がつぶれるという話ですから、全部手掛けている事業を手放して、新たな人生を歩むというか、普通にまた就職するのかと思いました。そのとき、アメリカに行こうと思い立ったのです。それ以前にオーストラリアでずっと旅してぐるぐる回っていたので、旅人になりたいなと思っていたところでした。

将来は、海外を旅して、お金がなくなったら日本に戻ってきて、宅配便の配達のような仕事で働いて、300万貯金作って、またどこか世界を旅する、そんな人生もおもしろいなと思っていました。旅人になりたいなという思いもオーストラリアから帰ってきたときくらいから抱いていたので、この会社がつぶれるとなったときに、旅人をしようかなと実は思っていました。

でも、もともと自分の哲学のなかに、分かれ道に来たときには、難しいほうを選んだほうがいいなと思っている節があるので、そのときの選択肢のうち、一番難しい選択肢ってなんだろうと考えました。2~300万程度の売上しかない、黒字化もできていない事業を買い取って成長させるというのが、たぶん一番難しい選択肢だろうなと思ったことと、旅人になりたいという思いをあわせて、旅行会社をやりたいという希望もあったので、会社を買い取りました。

2~300万しか売上があがっていない会社なら、ゼロとほぼ一緒です。どうせやるなら、データ入力の会社なんて特にやりたいと思ってなかったので、旅行会社でもやろうかなというのは、本当に思いました。旅人になるか、旅行会社をやるか、データ入力の事業をやるか、となったときに、考えたのです。今、目の前にあるデータ入力の会社を、日本一にもできないようなやつが、旅行会社をやっても絶対にうまくいくわけがないだろう。旅人になったとしても、若いうちはいいけど、40歳くらいになったら、その生活もきついだろうと。

富山 現実的ですね。

星 今、考えたら、やらなくてよかったなと思っています。会社を創業することで、旅人ではなくても、起業家として世界に展開するということはできるだろうと考えました。それで、どれが一番難しい選択肢なのかと考えたときに、今、目の前にある、データ入力という受託の会社を成長させる、日本一にさせるということだと思いました。当時一緒にやっていたメンバーと話して、これをやっていこう、この会社を買おうという選択になりました。

社内起業からMBO、東京へ進出

富山 一緒に働いていた仲間がいたというのは、けっこう大きいのでしょうか。

星 もちろん大きいですね。「うるる」をMBOのタイミングで一緒にいたのが、私を含めて4名いて、札幌に拠点がありながら、基本的には営業は東京でやっていました。お金がないので、マンションの1室を事務所として、もう1室を寝泊まりする部屋にするという形で、住居兼オフィスという拠点を東京に設けていました。MBOのタイミングで札幌の拠点を閉鎖して、4人でマンションの1室からスタートしたというのが、我々の第二創業と呼んでいます。それが2006年です。

富山 そこから、軌道に乗るまでは、どれくらいでしたか?すぐに軌道に乗ったのですか?それとも、けっこう時間がかかったのでしょうか?

星 売上のメインとしてのデータ入力の受注は、結果としては、うまくいきましたよ。当時、名刺をエクセルに入力して、年賀状を送るためのリストを作るとか、お客さんに書いてもらった申込書をパソコンにインプットするためのデータ入力をするというニーズが、さまざまな企業で発生していたからです。だから、うまくこのようなサービスがありますよということを知らしめることによって、データ入力をアウトソーシングするニーズは、どんどん広がっていきました。時代のニーズを的確にとらえることもできたし、追い風でしたね。

受注自体は順調に成長させていけました。いざ、MBOで独立する、4人で始めるとなったときに、営業は最悪、自分自身が担当すれば売れる、と思っていました。どこかで自信があったんです。でも、一緒に創業した僕以外のメンバーがとても優秀な営業マンだったので、結局僕が出るまでもありませんでした。それでもどこかで、サラリーマン時代に営業マンとして培った営業の実績と自信があったということは、気持ち的に創業期を支えてくれました。最悪、僕が売ればいいやという思いがどこかで持てたから、というのはありますね。